2月

書:宮下 結菜
「歌」というものは、その時代の状況や人々の思いを反映します。そして、いつの時代にも、私たちを勇気づける「応援ソング」というものがあります。それが流行するということは、きっと、そこに何か私たちが求めているものがあるということです。「応援ソング」の歌詞を紐解いていくと、私たちが「どのように応援されたいのか」「何を求めているのか」「何に苦しめられているのか」が見えてきます。今回の「生きているだけですごいことだから 命を誉めよう」という歌詞は、現代の私たちが求めていることのまさに究極形ではないでしょうか。
私たち人間は、「誉められたい」「認められたい」という思いが生きる原動力になっています。しかし、世間で何が誉められるかというと、多くの場合は、人より優れているところや、その人にしかない特別な能力や、何かの役に立つかどうかという部分です。ですから、どうしても「相対的」な評価を頼りにして、自分に価値を付け足していこうとする生き方になってしまいます。自分に足りないものを探して、それを満たしていく生き方です。
「承認欲求」というものはみんな持っているもので、それ自体は悪いものではありませんが、暴走してしまうと、どんな手を使ってでも自分に注目を集めようとします。仏教では、それは「名聞(みょうもん)」という煩悩であると教えます。
求めてもいないのに競争することを強いられ、されたくもないのに周りから査定され、それでいて勝った者にだけご褒美が与えられ負けた者は「自己責任」とされるような世間に、現代の私たちはどこかで疲れていて、うんざりしているのです。ですから、そのままの私を見て「生きているだけでいい」と言ってほしいのです。付け足したものではなく「いのちそのもの」を喜べる道を私たちは本当は求めているのです。
お釈迦様は誕生の際に「天上天下唯我独尊」と宣言しました。相対的な人間の価値ではなく、「いのちそのもの」の価値を知る道が仏教にあると示したのです。また、親鸞聖人はその仏教を「南無阿弥陀仏」という言葉に見出しました。「南無阿弥陀仏」は、私たちの「いのちそのもの」に光を当ててくれる「応援ソング」と言ってもいいのかもしれません。


